★素手
★我が家の敷地内であまり行きたくない場所がここだ。
別に幽霊が出るとかそんなことは一切ない。
敷地内で一番人の目に触れない場所。
敷地の北西角。
去年までは
小屋を作って
捨てるのに困った材料の置き場にしていた。
朽ちていく木材や伸びる草を
こころの奥底でちょっとは気になりながら
結果的にずっと放置していた。
草も草刈り機では刈っていたのだが
ヨモギの根っこや刈った草は放置状態
昨日から、敷地で一番見たくない場所に手を入れた。
「ふう~~っ!」一息ついて
胸がピキピキ痛んでいるのを思い出すような、結構夢中な根っこ抜き。
だいぶ綺麗になった。
この場所ちょっと前に
草むしりをしたのだけれど
大雑把な性格だし
少々緑があったほうがいいだろうと、
そんな思いでやった作業は
「草抜き」ではなくて
「手抜き」とこの世では言うらしい。
先日読んだ「植物は知性を持っている」(NHK出版)という本にも触発されながら
割と楽しみながら
ここのところずっと根っこの除去を進めてきた。
これまでず~~~~~~~~~~~~~~っと
自衛隊に入隊してから
今この瞬間まで
作業と言う作業のほとんどを手袋をして行ってきた。
もちろん危害予防のためだ。
手袋には結構お金もかけてきた。
ふと、「素手で土ってほとんど触ったことないな」って思った。
実際、ほとんどこれまで
手が汚れるとか怪我するとか
操体する時にガサガサになるとか・・・何やかんや理由をつけて
土いじりを素手でしたことはなかった。
ただでさえ土いじりは好きではないのだから。
昨日のブログでは
「感覚のセンサーを最大限に利用しながら引く。
良き感覚のトレーニングだ。」なんて言っていたのに(笑)
おそるおそる手袋を外した。
おそるおそる草と土に手を置く。
思っているより冷たい。
見た目より土にはツブツブ感がある。
おそるおそるだんごのように丸まったダンゴムシを手に載せる。
昔は余計なことをな~んにも考えないで
いろんな物を触ってたっけな~。
思っていたよりも
ずっと気持ちいいもんだな。
作業のスピードは大幅にダウンするが
急ぐ作業ではないのでしばし草と土を素手で感じながら根っこを引っ張る。
多分
こういうのをEARTHINGっていうんだろうな。
なんとなく穏やかに気持ちがいい。
抜き出す草の根は
まさしくこれだ(笑)
動物は内臓などの専門の器官を発達させてきたけれど
反面、一部を損傷しただけでも命取りになる。
植物は専門の器官がない代わりに
単独の細胞が幾通りもの役割を持つように発達してきたらしい。
多少の損傷があっても命にはほとんどかかわらない。
動物と同じ機能を
植物は持っているというのだから驚く!
人間の再生医療を植物の細胞で行う日が来るのかもしれない。
ついでにそんな妄想もしてみた。
今日一番の作業はこれだ!
いつの間にか小屋2号の下に生えた木
毎年ウドみたいな枝を伸ばす。
いつもはそこだけ折って放置していたのだが
その生命力に敬意を表しつつ
今回は根から除去することにした。
すぐに何とかなるかと思ったら・・・・
ゴボウより太い根が・・・
何とか豪快にずぼっとひっこ抜きたいと目論むが
からだじゅうをビキビキ言わせながら引っ張ってもビクともしない。
狭い空間を汗だくになり
エンピ(スコップ)で周囲を掘り
バールとエンピをテコのように組み合わせて何とかしようとするも・・・である。
なるべく深いところにエンピをさしてやむなくカットした。ふう~。
何ともすさまじい生命力だ。
植物には
問題を解決していく高度な知性と機能を備えている。
地球上のバイオマス(生物の総重量)の99.7%は植物であり
実質的に地球を支配している。
動物はわずか0.3%だ。
植物は動物も操る知性があると本には書かれているけれど
実際そうなのかもしれない。
少なくとも植物に生かされていることには間違いはないことだからだ。
植物には人間社会はどう映っているのだろう?
そんな目線を想像すると結構面白い。
草むしりに疲労を感じながらも
日々からだが元気になっていくように感じるのは
植物に上手に操られているからかも。
また今日も大きなミミズが近寄ってきた(笑)
のほほ~んと幸せな気がする。